先日購入した平凡社の釣魚大全1。早速、読み始めたんですが。
釣魚大全を読むために
第1章でつまづく
先日購入した平凡社の釣魚大全1。早速、読み始めたものの、第1章でつまづいてしました。
釣り師が狩猟家と鷹師を相手に、釣りが如何に優れているかを延々と述べているだけで、何度読んでも途中で寝てしまうほど退屈なんです。第2章からは実際に釣りをする話なので、なんとか読めそうなんですが。
解説本を読む
せっかく不朽の名作を読もうというのに、導入部を読み飛ばすのも気が進まないので、こんな本を買ってみました。
つり人社(つり人ノベルズ)から出ている『釣魚大全』大意。要するに解説本です。(平凡社の釣魚大全1の訳者あとがきにも一部、似たようなことが書いてあります。)
釣魚大全の第一章について、この本を読んでみてわかったことを簡単にまとめてみます。
時代背景
釣魚大全の初版が発行されたのは1653年。ウォルトンが60歳のときです。何年かかって上梓に至ったかはわかりませんが、当時はピューリタン革命(1640~60)の最中で、かなり血なまぐさい世の中だったようです。
ピューリタン(清教徒)にとって、日曜日は礼拝に行く日。レクリエーションに充てるなどもってのほかで、日曜日の『鷹狩り、狩猟、魚釣り、鳥網猟』がその他スポーツ、娯楽とともに法律によって禁止されたとあります。日曜日しにしか休めない一般の人々にとっては、息苦しい時代だったことは想像に難くありません。
そのような中で、急進的なピューリタン政府に楯突いているとも受け取られかねない内容の本を上梓することは、それなりの覚悟が必要だったろうし、実際、第4版までは”Iz.Wa”という匿名での出版でした。
釣り好きの偉人や聖書に登場する神々を持ち出して、くどいまでの釣り礼賛を展開するのには、このような時代背景があったようです。
波乱万丈
ウォルトンは資本家(中産階級)ましてや貴族(上流階級)でもありません。ヨーマン(自営農民)の子として生まれ、2歳のときに父親を亡くし、徒弟修業を経て金物商として独立した、叩き上げとも言える人物です。
また、最初の妻との間に生まれた7人の子がみな幼くして死亡し、その妻にも先立たれ、再婚した妻との間に生まれた二番目の子もすぐに死んだとあり、穏やかな作風からは計り知れない、波乱万丈の人生だったようです。
あるいは、壮絶であったが故に、穏やかにならざるを得なかったのかもしれません。
釣魚論
第1章での、釣り師を狩猟家、鷹師と比較するスタイル。これは、最古の釣りの本として知られるジュリアナ・バーナーズの釣魚論を踏襲しているようです。
現代の日本で、これら(釣り師、狩猟家、鷹師)を同列に扱うことはあまりありませんが、当時のイギリスでは同じ紳士のレクリエーションとして一括りにされていたようです。
隠されたメッセージ
YouTubeで興味深い動画を見つけました。シマノのFishing Caféによる『釣魚大全』アイザック・ウォルトンの研究(前編・後編)です。講師はウォルトンの研究者として知られる法政大学の曽村充利教授。
瞑想と活動、そして、そのどちらにも偏らず、それらが調和した状態が釣りだとする、第一章の中でも特に難解な部分。
この動画によると、これらが何を示すのかを考えるには、イギリス国内だけの宗教対立(国教会VSピューリタン)だけを見ていては駄目で、ヨーロッパ全体に視野を広げる必要があるそうです。
つまり、保守の岩盤とも言えるカトリックを加えて、次のような構図になります。
活動 | 釣り | 瞑想 |
---|---|---|
ピューリタン | 国教会 | カトリック |
左翼・個人主義 | 中道(via media) | 保守 |
ウォルトンが属する国教会はカトリック的なものが抜けきれないプロテスタント、つまり中道で、これをpurifyし、完全なプロテスタントにしようというのがピューリタンです。
当時は、ピューリタン政権の下、国教会の聖職者の多くが職を失い、地方に隠棲せざるを得ない状況にありました。釣魚大全は、そんな彼らへの慰め、あるいは道しるべと捉えることもできるんです。
静かなることを学べ
そう考えると、有名な一節、『静かなることを学べ(Study to be quiet)』の意味も、そう単純でないことがわかります。
この動画によると、ここには隠棲した聖職者たちへの『今は耐えなさい』というメッセージが込められているようです。
耐えた先には国教会(王党派)の復権が待っていて、実際、1660年に王政復古に至りました。
以上、釣魚大全 第1章を読むための基礎知識を簡単にまとめてみました。このペースだと、読み終わるのはまだまだ先になりそうです。
世界史に詳しい人だとこんなに苦労しないんでしょうけど。
コメント